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手(ティー)とは、空手以前に存在したとされる、沖縄県の琉球王国時代の武術である。 「手(ティー)」という武術が何であるかについては、空手家や研究者によって見解が異なる。しかし、今日では、大体以下に示すように二通りの意味で使われている。 # 空手の旧称である「唐手(からて)」の明治時代の俗称。 # 唐手(とうで、琉球語でトーディー)以前に存在した「沖縄固有の武術」の意味。いわゆる「沖縄手(ウチナーディー、おきなわて)」と呼ばれた武術。 なお、唐手(からて)と唐手(とうで、トーディー)は別の概念である(詳しくは後述参照)。 == 手=唐手(からて) == 「手」とは、琉球語で第一義にはもちろん手首から先の部位のことであるが、元来は武術に限らず『手法』を意味する言葉でもある。武術家がこの語を使う場合は、「…の武術」もしくは、単に「武術」一般を意味する言葉であった。それゆえ、明治の唐手家たちにとって、「手」といえば単に唐手(からて)のことを意味していた。 唐手(からて)という訓読み語は、後述するように明治30年代に唐手(とうで、琉球語でトーディー)という音読み語から創られた。唐手(とうで)の言葉の起源は不明であるが、佐久川寛賀が唐手佐久川(とうでさくがわ)とあだ名されていたことから、19世紀初頭頃から使用されていたと推測されている。例えば、安里安恒は「唐手と云ふ名が判然世の中に知り亘(わた)るやうになったのは、赤田の唐手佐久川からである」〔安里安恒談・松濤筆「沖縄の武技(上)」『琉球新報』大正3年1月17日。〕と述べている。 佐久川は20代の頃、進貢船に乗って中国へ留学し、当地で中国武術を学んだとされる。この佐久川が帰郷して伝えたのが、今日の空手の起源の一つとなる武術だったのだろう。それゆえ、佐久川が帰国した当時は、唐手(とうで)とは文字通り「唐(中国)の手」、すなわち中国武術の意味であった可能性が考えられる。それが廃藩置県までの約80年間を通じて、それ以前に存在した「沖縄手」と融合しながら、独自の唐手(とうで)に変化を遂げていったものと思われる。いずれにしろ、唐手(とうで)は佐久川以降、19世紀初頭からはじまった比較的新しい武術だったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「手 (沖縄武術)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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